パトリシア・フィールド・アートコレクションがホテルに!

2020/6/21|

この度、期間限定でパトリシア・フィールド・アートコレクションより厳選した作品をホテルキーフォレスト北杜にて特別公開いたします。
ホテルキーフォレスト北杜は、当館に隣接するわずか6室のみのスモールブティックホテル。
感性を刺激するひとときをごゆっくりとお過ごしください。
 
今回は企画に先行してホテル2、3階にて展示中の作品《MALCOM X CASSIUS CLAY》、《JFK & JO》の作者であるスザンヌ・マルーク氏よりコメントを頂きました。
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私はいつも肌の「白さ」と「黒さ」の社会的構築に興味を惹かれていた。1960年、 白人とアラブ系の両親のもとに生まれた。私が暮らしたカナダの小さな町は、白人ばかりの環境で、私はよそ者扱いをされた。1980年には、アーティスト、ミュージシャン、映像作家、ダンサーなどが集まるイーストビレッジのコミュニティーで暮らすため、ニューヨークシティへ引っ越した。ニューヨークでは、人生で初めて「エスニック」として見られなかった。突然透明になって、自由になれた気分だった。1981年、ジャン=ミシェル・バスキアに出会った。それから彼とは1988年の死まで、離れたりくっついたりという恋愛を繰り返した。
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彼の父親はハイチ人で私の父親はパレスチナ人。彼の義母はイギリス人で私の母親もそうだった。両母とも、入植者的な視点から、「エキゾチックさ」に惹かれていた。両父とも、白人の妻を持つことを、地位の象徴だと思っていた。この事実は、のちに私たち二人の持つ複雑なわだかまりを明るみに出すのだ。私たちの中に潜む、この独特な「白人さ」に毒された邪悪な部分には、どこか純粋さがあった。血というものが、私たち二人の仲で不穏な取り返しのつかないものになった。彼は黒人で、私は白人。その現実が導いたのは、白人である私に対する、反論しようのない彼の黒人としての怒りだった。そしてその怒りが消えることは二度となかった。「白さ」に隠された私の邪悪さは、彼にとって裏切りであった。「白さ」そのものはそこまでの試練にはならなかっただろう。しかし私の「白さ」には陰があった。
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1985年に制作されたこれらのペインティングは、25歳で異人種関係を持ち、二文化の女性として持っていた私の内在的闘争を象徴している。2020年、あれから35年後の今、世界中が過激な警察による暴力に対し抗議する渦中、私たちは「白さ」と「黒さ」の持つ毒と戦い続けているのである。
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スザンヌ・マルーク
2020年6月6日
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《パトリシア・フィールド・アートコレクションについて》
ブティック『パトリシア・フィールド』はシーンスターと呼ばれるミュージック・カルチャーシーンに属する者や、セレブ、LGBT、そして世界中のファッショニスタが集う、メルティングポットとして存在しており、マドンナ、デボラ・ハリー、ジャン=ミシェル・バスキアも常連でした。1983年イーストビレッジのショップではキース・ヘリングがペイントした初めてのTシャツが販売されました。「ファッションは着るアート」というパトリシア・フィールドと「アートはみんなのもの」というヘリングのコンセプトの完璧なコラボレーションでした。
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今は無きクラブ「CBGB」や、伝説のポエトリークラブ「バワリーポエトリークラブ」に隣接する、このブティックのもう一つの大きな特徴は、そのアートコレクションでした。絵画、写真、ポスター、彫刻、版画などの作品群のほとんどは無名アーティストによるもので、煌びやかな衣服とともに個々のパワーを炸裂させていました。コレクションはフィールド自身が蒐集してきた作品だけでなく、アーティストやデザイナー、ファンなどが『パトリシア・フィールド』に魅了されて制作した作品の蓄積でもあります。
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半世紀にわたって親しまれてきたブティック『パトリシア・フィールド』は2016年春に惜しまれながら閉店し、このアートコレクションの主要作品190点が中村キース・ヘリング美術館に収蔵されました。
 
アートコレクションは私のこれまでの50年間のキャリアと思い出のすべて。ハウス・オブ・フィールドの宝もの。」
パトリシア・フィールド
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展示期間:2020年7月1日(水) – 2020年10月13日(火)
会場:ホテルキーフォレスト北杜
住所:山梨県北杜市小淵沢町 10248-16
ご予約、お問い合わせ:0551-36-8755もしくはこちら
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2017年に開催した企画展「パトリシア・フィールド・アートコレクション:パトリシア・フィールドの世界」展の様子はこちら
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